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2017.03.20 奈良御朱印旅3日目(1) 大安寺・西大寺周辺 [国内旅行]

 今回の旅行で、当初の予定では奈良2日、京都1日の予定だったが、奈良を2日間まわって、あまりにもお寺が多いと感じ、3日目も奈良をまわることにした。


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3日目の最初に参拝したのは、南都七大寺の一つ・大安寺。


前日までに参拝した南都七大寺は東大寺、興福寺、薬師寺、法隆寺。


残りは、大安寺、西大寺、元興寺である。法隆寺に代わって唐招提寺を加える場合もある。


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聖徳太子の創建で、遷都に合わせて奈良に移り、かつては広大な敷地に東西に塔を構えて別名「南大寺」と呼ばれるほどだったが、平安時代以降は衰退し、お堂が1つだけの時期もあったという。


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大安寺を鎮守する役割を果たしていたのは元石清水八幡宮。


9世紀に宇佐八幡から勧請したものだという。


中門は修理中だった。


御朱印は社務所不在でいただけず。電話をしたらいただけたのかもしれないが。


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神社脇の空き地。ここも元々は大安寺の一部だったのだろう。


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大安寺の御朱印。


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大安寺からJR奈良駅に戻り、学園前行きのバスに乗り換えて阪奈菅原で下車。


目の前に大きな山門と本堂を構えてお寺が見える。喜光寺である。


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本堂を見上げると、「菅原寺」の扁額。


奈良時代に行基菩薩よって創建された当初の呼び名で、のちに聖武天皇によって今の名前に変えられたという歴史深いお寺である。


菅原寺という名前の通り、菅原道真を輩出した菅原家の氏寺でもある。


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喜光寺の御朱印。創建した行基菩薩像の御朱印である。


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喜光寺で御朱印をいただいた時に勧められたのが、近くの菅原天満宮。


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ちょうど筆祭りが開催されているところだった。


誰でも書ける習字を開催していたり、習字用具の販売がされていたり。


奈良の中心街を歩いていると、筆を売っているお店が何軒もあったりして、奈良は筆の文化がかなり浸透しているのだろうか。


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天満宮と言えば、梅の花。


この時期もまだ咲いていた。


菅原は元々この辺りの地名で、平城京遷都以前から存在するという。菅原道真の3代前に土師氏が菅原姓を名乗るようになったのだという。そして、菅原家を祀る神社で、天満宮としては最古だという。


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菅原天満宮の御朱印。


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菅原天満宮から歩いて15分ほどで西大寺に到着。


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東塔の跡の前に現在の本堂。


現在の西大寺は、奈良時代の当時の広さは全くなく、平安時代の衰退、鎌倉時代の再興、室町時代の戦火消失を経て現在に至っている。本堂も江戸時代の再建。


堂内は撮影禁止で、釈迦如来像などが置かれている。


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東塔の西側に愛染堂。こちらは江戸時代中期に京都から移築されたもの。


愛染明王は秘仏で、公開期間が限られている。


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四王堂も江戸時代の再建。


四隅に四天王像が置かれ、本尊は十一面観音像。


いずれの建物でも御朱印を受け付けていて、それぞれで本尊を書いていただける。


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現在の西大寺の伽藍はこのようになっているが、奈良時代は南倍も広かったという。


現在の近鉄大和西大寺駅辺りも当寺は西大寺の敷地の中。そして、当時の敷地に近鉄の線路が敷かれていることになる。


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西大寺では全部で4種類の御朱印をいただけた。


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西大寺から歩いて15分ほどの秋篠寺へ。


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緑の苔に覆われた境内が美しい。


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奈良時代末期の創建で、本堂は鎌倉時代のものという。堂内には愛染明王をはじめとして様々な仏像が置かれているが、撮影禁止。見守るだけにしておきたい。


あと、普段は御朱印を出していないので、御朱印目当ての人は要注意。


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秋篠寺からバスを乗り継いで平城宮跡の東側に位置する海龍王寺へ。


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奈良時代よりも前の土師氏ゆかりのお寺が起源。


奈良時代は光明皇后が起居する寺院となったが、都の遷都と共に衰退したり、再び繁栄したりの繰り返しで、本堂は江戸時代に建てられたもの。


明治時代には廃仏令でさらに衰退し、戦後になってやっと保存の動きが見られたという。


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五重小塔は奈良時代からのもの。屋根に覆われている建物は戦後に解体修理したもので、こちらも一部奈良時代の木材を残している。


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海龍王寺の脇に神社の参道があり、奥に進んでみた。


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残念ながら、神社の入口には鍵がかかっていて、中に入ることができなかった。


ここは春日社と言い、海龍王寺を鎮守する役割の神社。


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さらに数分歩いたところにあるのが法華寺。


東大寺が総国分寺であるのに対し、こちらは総国分尼寺にあたる。


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本堂は1601年に淀君の寄進によって再建されたもの。


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護摩堂は平成に入ってから建てられたもの。


法華寺は平安遷都と共に衰退し、鎌倉時代に再興があったりと浮き沈みを繰り返してきた。


また、追加の拝観料で浴室の建物も見ることができる。光明皇后が建てた蒸し風呂で、現在のものは江戸時代に再建。

 

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海龍王寺の御朱印は用紙切れで、後日郵送で送っていただけることになった。ここでは法華寺の御朱印のみ。


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(追記)後日届いた海龍王寺の御朱印。


このあと、バスで近鉄奈良駅まで移動。


次のページではならまち周辺の神社寺院を巡ります。

 

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